こんにちは、みっつんです。いつも『ふたりぱぱ日記』を読んでいただきありがとうございます。こちらは北スウェーデンよりお送りしております。
先日、リカのおばあちゃんの住む小さな村の教会で、リカと僕の息子くんの洗礼式が無事に執り行われました。今日はその式の様子を少しと、それについて考えたことをお伝えしたいと思います。
*洗礼式を行った教会
今回、式を執り行ってくださった牧師さんは、とても音楽に長けている方で、式中の聖歌の伴奏をオルガンで弾いてくださったり、僕ら3人が入場するのに合わせ、自らヴァイオリンを弾いてくださいました。
僕らは、自分たちの結婚宣誓式を事情により、家族を招いて行うことができませんでした。(反対があったとかじゃなくて、実務的な理由ですが)
そのせいか、そのヴァイオリン入場の奏でが響くなか入場し、振り向いて家族の顔が見えたときには、自分たちの結婚式のような気分にもなり、そこに、息子くんが加わっていることの喜びとで、こみあげるものを抑えるのに必死でした。
ちなみに、この息子くんが来ている洗礼式用のドレス。リカのお母さんが30年以上も前に仕立て、リカの妹弟や、今回来てくれたいとこ、姪や甥など、何人もの家族が洗礼を受けたときに着たというもの。襟や袖口にシンプルな刺繍がありとてもステキです。
*洗礼式の様子
洗礼というのはキリスト教における入信の儀式であり、幼児洗礼は、昔は幼児の死亡率が高かったため、亡くなってもちゃんと天国に行けるように、産後すぐに行うものだとも聞きました。(宗派によって違いはあるようで諸説あるそうです)
ただ、僕らは特にキリスト教の信仰があるわけではありませんし、息子くんに信仰してほしいと思っているわけではありません。それは彼が将来決めること。
しかし、今回洗礼式を行って本当によかった。
総勢30名を超える家族や親戚がこのために集まってくれて、僕らの新しい家族を紹介する場を与えてもらい、そのなかに暖かく迎えいれてもらえたのは、感きわまる思いでした。
こうした伝統的な儀式や慣習だったりというのは、宗教的な信仰心だけではなく、普段は会えない家族・親戚が集まる機会になったりと、実務的な側面もあり、昔から受け継がれてきたんだなと、という気持ちをおぼえたりもしました。
すると、なんとなく日本でいうところの、お盆だったり法事だったり、お宮参りなんかを思い出ししたんです。どれだけ信心深いかは、その人により差が大きいかと思いますが、伝統・慣習としていまなお一般的に行われてる、そんなところは似ているかもしれません。
またそれと同時に、日本で『伝統は守らなければならない』と耳にすることも頭をよぎりました。それは若干固執しすぎなくらいなほどに。
しかし、伝統というのは、社会生活の中で必要とされ残って行ったものが、ときに新しい慣習を加え、カタチを変えながらも後世に遺って行ったその結果が『伝統』と呼ばれているだけなのではないでしょうか。
僕らゲイのふたりが父親となり家族を築くというのは、今までの伝統とはかけ離れているのかもしれません。
でもそれは、いままでの伝統や慣習を壊していくことではなく、世代を超えたあの白いドレスを、父親がふたりいる赤ん坊が着て洗礼を受けるように、古き良きものは受け継ぎ残しながらも、新しい社会を受け入れ、つくり出していくことにつながるのではないのかな、と考えています。
僕もスウェーデンに来てまだ数ヶ月なので、わかったふうなことは言えないのですが、この国は、伝統を大切にする気持ちはしっかりありつつも、それを守ることに専念せず、新しいものを取り入れていく、そのバランスがいいのではないかな、なんて日々感じている今日この頃です。
今回の洗礼式を終え、たくさんの方の応援や支えがあって、こうして息子を迎え入れることができたんだなと、改めて思わさせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
どうぞこれからも、ふたりぱぱと息子くん、あたたかく見守っていただけたらと思います!
*家族三人の記念写真
本日も『ふたりぱぱ日記』、最後まで読んでいただきありがとうございます。
では。
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