お友達の誕生日会と、あたりまえの日常が信じられないなんて感じた日。

お友達の誕生日会と、あたりまえの日常が信じられないなんて感じた日。

2017年3月5日(日)

息子くんへ

 

今日は午後から、君のお友達の誕生日会に行った。近くに住むふたりままのところの子だ。彼女たちとは、去年のプライドパレードで出会ってからの付き合いだ。

 

君より2ヶ月早く生まれた彼女の初めての誕生日会。久しぶりにあったら随分と大きくなっていて、君よりもひとまわり大きい感じ。とても素敵なピンクのドレスを着ていた。

 

他にもきみと同じくらいの月齢のお友達も何人か集まっていて、さっそく一緒に遊んだりしてたよ。

 

まだおもちゃを取り合うということはないようだ。あまり「自分の」という概念がまだないのかもしれない。

 

なんとなくみんな、「その」おもちゃで遊びたいという感じではあるけど、他の誰かに取られたところで、怒ったり取り返したりするということもなかった。

 

みんなでフィカしているうちに、どんどんと主役の子の家族、おじさんやおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんまで集まって、とても賑やかな会になった。

 

パパたちはあまり普段の生活の中で、自分たちが同性カップルであることを意識しなかったりする。

 

けれど、こうやってたまに同じ同性カップルである彼女たちと会うと、なんとなく嬉しくなって、「あ、自分たちってそうなんだ」って気付かされたりする。

 

別に「同性カップルの親あるある」ということを、話したりするわけじゃない。普段そんなこと考えたり感じたりしないから。

 

でも、きっとふたりで素敵な白いドレスを着て映る、彼女らの結婚式の時の写真が壁に飾ってあるのを見て、ちょっとそれを意識したのかもしれない。

 

2時間ほどお邪魔して、きみもつかれてきたようだったから、「ヘイドー」(バイバイのスウェーデン語)を行って、おいとましてきたよ。

 

 

そして夜。

 

 

夕食のとき、きみは先にミルクを半分飲んで、そのあと、パパたちと一緒にご飯を食べた。

 

そのあと、その残りのミルクをきみは椅子にすわったまま飲み始めたんだけど、それを見てて、みつぱぱはなぜか急に胸がいっぱいになってきた。

 

といっても、そんな大げさな感動とか涙するとかじゃなくって。

 

ふたりぱぱとしての毎日の生活がどんどんと日常になっていて、あたりまえのようになっているんだけど、やっぱりそれはあたりまえじゃないなーって。

 

椅子に座ったまま、自分でボトルをもって上を向きながら一生懸命ミルクを飲むきみをみていたら、最初はなんにもできなかった生まれたばかりのきみを思い出して、こんなに大きくなったのか、って、驚かされる。

 

そしてその次には、きみがここにいてくれることが、とても不思議に感じて来るんだ。なんか、きみが存在していることがまだ信じられないっていう感じで。

 

ふたりぱぱとしての日々が当たり前に感じる日常と、そのくせ、いまだにきみがいてくれることが信じられないという、そのふたつの相反する感情が、急に同居する感じ。

 

それをね、その場でリカパパにも言ったら、リカパパも

 

「すごいそれよくわかる」

 

って言ってくれた。

 

この感覚はふたりぱぱだからこそのものなのかな、なんて思ったりしたけど、もしかしたら、愛を持って子育てをしている親さんなら、多くのひとが感じることなのかもしれないな、なんていう風にも思った。

 

きみがいてくれるだけで、パパたちの毎日と気持ちを豊かにしてくれているよ。本当に。

 

 

I love you,

みつぱぱ