ゲイがわざわざ子どもを持つ?
「世界的に見れば人口が増えすぎて将来食糧危機になるって言ってるのに、もともと子どもができないゲイが、わざわざ高いお金出して、サロガシーとかまでして子どもを持つ必要はないと思うんだよね。」
ずいぶん前に、友達が言っていた一言。まだ僕らが子どもを持つことを決めるずーっと前の話。前回お話しした飛行機の中での話から数ヶ月経ったころだったと思う。
ある週末、僕は近所に住む友達の家を訪ねていた。ゲイの子ばっか、10人ほどで宅飲みをしていたときのこと。そのうちの一人と話し込んでいた。僕の頭のどこかにあの話がこびりついていたのだろうか、話題はいつのまにか子どもについてのことになっていた。
冒頭の発言はそのときの話。彼はまたこんなことも言っていた。
「子どもは僕には考えられないかな。ま、見ればかわいいなとは思うけど、自分が育てていくってなると違うじゃん? ゲイがいて子どもができないっていうのも、それはそれで自然の摂理の一部なんじゃないかなって思うし。」
それに対しては僕は、
「そうだよねー。オレもそう思うー。人に反対はしないけど、自分となるとねー。」
っていう感じで、その時は相槌をうったりしていた。それは嘘ではなかったと思う。あの頃はまだ子どもの話もそんなに現実的ではなかったから。
しかしそんな風に返事をしながらも、そうやって自分もそう思っていたな、ということにも、同時に気づきはじめていた。
頭では彼の意見に同調しているのに、どこかしら心の中になにか引っかかるものがあった。『自分もそう思っていた』 ー そう、少しだけ過去形になっていた。
反対意見を聞いて、さらに深く気づく自分の素直な気持ち
ロンドンに移った時、ありがたいことに友達がすぐにたくさんできた。特にリカの昔からの友達がロンドンに住んでいて、困ったことがあると話を聞いてくれたり、アドバイスをくれたり、遊びに誘ってくれたりもして、本当に心強かった。
しかし、その中に子どもを育てているゲイカップルはいない。子作り、子育てに関して相談できる人はいなかったし、子どもを欲しい気持ちを共感できる人はいなかった。
そんな中、あの飛行機での会話は『自分にも可能性があるかも』という思いとして、ほんの小さな染みのように心の隅に残っていたのだろう。
共感できる人はいなかったが、それが逆に違う意見を持つ人の話を聞いたときに、自分はどうしたいかという素直な気持ちに、スポットライトを当ててくれたような気がしている。
冒頭の彼も、ゲイが子どもを持つこと自体に反対したわけではないし、『彼は』子どもは持たない、と言ったまでだ。
しかしあの会話は印象深く、これまでのサロガシーの旅の途中で、幾度も思い出されてきた。ゲイが子どもを持つということに対して、反対する人の意見に対して、自分が敏感になっていたのかもしれない。
あの会話を思い出す度に、「やっぱり、自分は子ども欲しいな」っていう気持ちに気づかされたし、その度にあの心の隅の小さな染みがどんどんと広がっていった気がする。
時として、反対意見も自分に自信をつけてくれる味方になりうるのだと、最近ではそう感じている。
LGBTが、わざわざ子どもを持つ必要はない。でもね…
サロガシーの旅のはじめのうちに、彼とあの会話をできて良かった。
こういった類の話は、いささか白か黒かみたいな答えを出しがちではあるが、そんなことはせずに、いろいろ自分の中で少しずつ考えて、消化していくにはいい会話だったかもしれない。そしてそれがいろんな人の意見を聞いてみようと思うきっかけになったとも思う。
自分の意見は人と違うかもしれない、と思うとそれを口に出すのに臆病になってしまうことってあると思う。だけど、他人の違う意見を聞くことで自分の気持ちを再発見したり、自分自身に自信を持たせる練習になったりもした。
そして今はこう思う。
LGBTが、わざわざ子どもを持つ必要はないかもしれない。子どもを持たずパートナーとの時間を大切にすることで幸せを感じる人もいるだろうし、独身でいるほうが幸せを感じるという人もいるだろう。
それはLGBTに限ったことではなくストレートにもあてはまることだ。ストレートであれLGBTであれ、みんながみんな子どもを持つ必要はないという考え方の一部でしかない。
もしもあなたがLGBTのひとりで、将来子どもが欲しいと考えているのであれば、それも素晴らしいことで、ストレートの人たちがそう思うのと同じようにとても自然なことだと思う。僕もそのひとりだ。
子どもを持ちたい、育てたいという気持ちを理屈で説明なんてできない。LGBTが子どもを持つのに理由がいるというのなら、
「あなたが子どもを持とうと思った理由はなんですか?」
と、ストレートの人にも同じように質問をしたい。
こんなことを自信を持って言えるようになったのは、この3年ほどの経験があったから。本当にたくさんの人といろんな話をして、少しずつ考えてきた。そしてこれからもそれを続けていきたいと思っている。そしてこんな風にも思う。
LGBTがわざわざ子どもを持つ必要はないのかもしれないが、それと同時にLGBTがわざわざ子どもを持つ権利を捨てる必要も全くない。
いつの日か、LGBTが子どもを持つときに、”わざわざ” という言葉をつけなくても良くなる時代がくることを願っている。
つづきはこちら
連載「サロガシーの旅」が書籍化されました!
ブログでは第1、2章までが公開されていますが、残り半分の旅路も全てあわせて収録されています。
全国の書店、またはamazonでお買い求めください!