以前 “LGBTが親になる4つの方法” でも触れたのだが、リカと僕はふたりで子どもを自ら育てていきたいと思っていたので、子どもを授かる方法として、養子をとるのか代理母出産(サロガシー)を通じてかのどちらかに絞られていた。そして、そのどちらを選ぶかをよく考えていた時期があった。2013年の夏から秋頃だったと思う。
結論はご存知の通りだが、今日は養子ではなくなぜ代理母出産を選んだかについてお話ししたい。
養子として育った友達の家庭を見て。
養子で子どもを授かるのと、サロガシーで授かるのとで、おおきな違いのひとつは、遺伝的つながりがあるかないかだ。自分は血のつながりのない子どもを育てていくことができるのだろうか、と考えていた。
昔、養子縁組で子どものころに養父母に引き取られたという友達がいた。彼曰く、反抗期のころは実の親子でないことで悩んだり、その部分を強く親にあたったりしたこともあったという。しかし、それを過ぎてからは仲の良い親子になっていったようだ。
もちろん、他人の僕が知らないところでの悩み、葛藤は彼にもあったであろう。しかし、この世に生を受ける限り悩みのない人間なんていない。また、万事なにごともうまくいく家庭なんてないだろう、それは遺伝的つながりがある家庭だってそうだ。
彼の家にはよくお邪魔したのだが、彼の家族のあたたかさを垣間みれたことは、養子をとるというオプションにも希望を与えてくれていたのは確かだった。
遺伝的つながりに関して、リカと僕はもちろんあればいいなと思っていた。しかしそれが絶対のものではなかった気がする。
ではなぜ、サロガシーだったのか。それを決めた理由というのは他にもあったし、いろいろ考えるプロセスもあった。
代理母出産、そこまでしなくてもいいんじゃないか?
ある時、別の友達のひとりと、子どものことについて話をしていた時だった。僕らがサロガシーを選ぶかもしれないことを伝えると、「俺なら養子をとる。」と言った。理由としては、いろいろあったのだが、ものすごくざっくり要約すると、
「桁違いのお金を払ってまで自分の遺伝にこだわる必要がない。親になってくれる人を待っている、そういう子どももたくさんいる。そこまでしなくてもいいんじゃないか?」
というようなことだったと思う。いや、ごもっともといった感じだったが、正直なところ、若干批判されているとも感じた。
しかし、子どもを持てないゲイカップルが、養子をとるという選択は、恵まれない子どもを助ける『正しいこと』なのだろうか?
そうだとするなら、養子をとるという行為はストレートカップルも含め、子どもを持てない人のみに期待される社会的役割なのだろうか? 自分の顔に似た子どもに出会う可能性があってもそれを捨てなければならないのだろうか?
このことについては、これから先も議論が分かれるところだと思う。みなさんが同じ状況ならどう考えるのだろうか?
養子の審査の厳しさと、子どもとの相性
イギリスで養子をとる場合、イギリス国籍がなくてもできるのだが、その条件として1年以上住んでおり持ち家がなければならない。(その他の条件についてはこちらを参照)
僕らはロンドンに来てからずっと賃貸で、持ち家ではなかった。もちろん、家を買うことも視野に入れていたが、僕ら二人ともこの国の出身ではなく、いつまた違うところに引っ越すかもしれないということもあり、ここロンドンの異常なほどの不動産価格の上昇も相まって、実現にはいたらなかった。
そんな持ち家がない僕らの場合、養子の審査からはじかれるのは目に見えていた。しかし、持ち家があったとしても、審査にパスするかはわからなかっただろう。養子の審査が厳しいというのはいくつかの情報から得ていた。そのうちの一つがこちら。
Why we couldn’t adopt in Britain: Three of these couples adopted from abroad and the reasons they were rejected by British agencies will leave you in despair
(なぜ私たちは英国で養子をとれなかったのか:海外から養子をとった3組のカップルと、彼らを絶望させた英国のエージェンシーが彼らを断った理由)
出典: Daily Mail
また、審査にパスしたとしても、子どもと引き合わされる際、お互いの相性が合わなければ、いつまでたっても養子縁組が成立しないということもあるという話も聞いた。
もちろん他人の子を、自分の子にするのだ。受け入れる側が厳しく審査を受けるのは当然の話だ。しかし、僕らは子どもを確実に授かりたかった。家を買って、審査を受けて、訓練をして、子どもを受け入れられない場合もあるというのは、できるだけ避けたかった。
もちろんサロガシーも完璧ではない。時間と高いお金をかけて最終的にできない場合もある。しかし、僕らの状況の場合は、養子をとるより、サロガシーのほうが成功率は高いと考えていた。
どちらが良いか悪いかではなく、どちらが自分たちの状況にあっているか
僕はゲイだと自認してから、子どもを持つという可能性はゼロだと思っていた。遠く海外のセレブリティがサロガシーで子どもを授かっているのを見て、それも自分には縁のないことだと思っていた。
しかし、子どもを持てるかもしれないという期待は、理路整然とした説明などできない、遠い過去においてきた夢を取り戻すような感覚だった。もちろんサロガシーしたとしても、僕らふたり両方の遺伝子を持つ子どもはできない。それは承知の上だ。
それでも自分か、もしくは愛する人に似た子どもを抱いたり、成長する姿を見られるのなら、見てみたいと思った。
ゲイカップルとして子どもを持ちたいといっても、いろんな状況があるだろう。養子かサロガシーかの選択は、遺伝的つながりが絶対に必要かどうかはもちろん、どちらが良いか悪いかではなく、どちらが自分たちの状況にあっているか、自分たちにはなにかできるか、といったことになると思う。
僕らの場合は、こうして、サロガシーの方向へ目指していくようになったのだ。
画像出典:Fatherhood by Mateus Lunardi Dutra via Flickr, Licesed under CC BY 2.0
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