2017年4月1日(土)
息子くんへ。
今日の夜、きみを寝かしつける間、ベッドに一緒に横たわっているときだった。
きみは、みつぱぱの体にまとわりついてせわしなく動き回っていた。
かけぶとんにダイブしたり、大きなクッションに寝転がってみたり、パパの腕を枕にしてみたり、パパの胸にうつぶせになったり、ときにはパパの足を枕にして、寝心地を確かめていると言ったかんじだった。
そのあいだも、足をバタバタさせたりするもんだから、パパはあごやら頭やらいろんなところを蹴られるし、なにかと手を伸ばしてきては、ほっぺや首、鼻なんかをおもいっきりつかもうとするから、結構痛い。
正直、
『早く寝ろやー!』
って心の中で思いながらも、なんかそうやってまとわりつかれるのが、嫌いじゃないのも感じてる。
なんかね、そういうときに思うのが、
『命のかたまりだなぁ』
『いのちがぶつかってきてんなぁ』
って思ったりするんだ。
大人になるとさ、いろいろ忙しくなっちゃって、なにかやってる最中でも、『次はあれやろうこれやろう』って先のこと考えちゃったり、全然別のことを考えながらやっていたりする。ときには複数のことを同時に作業したり、マルチタスキングで仕事をする必要があるときもある。
それに、いろんなこと頭使って考えるようになっちゃうから、昔を懐かしんだり、未来を不安に思ったりするのに忙しくなったりもしてる。
そうすると大人って、今その瞬間っていう、一瞬一瞬を生きているのを忘れちゃったりする人が多いと思うんだ。パパもよくあるそういうこと。
だけど、きみはさ、今お腹空いてるから食べるとか、今はもうお腹いっぱいだからいらないって拒否するとか、今ハグしてほしくてぎゅっと抱きついてきたり、今このトイレの便器を触ってみたいから手を伸ばすとか(パパに止められちゃうんだけどね)、今こっちいきたいからそっちへ走りだす、とか、とにかくその一瞬一瞬を100%で生きてるって感じなんだよね。
もうさ、それが、命のかたまりじゃなくてなんなんだって、かんじがするんだ。生命の基本形っていうかさ。
わかるかな、この感覚。笑
だからさ、きみとベッドに横たわってて、きみがくっついてきたり、離れたり、蹴飛ばしてきたり、つねくってきたりすると、その命のパワーっていうかライフフォースを、ビシビシ感じたりするんだよね。
そんなことを感じて、きみがすやすや寝息をたてているのを見ると、きみが生まれてきてくれたことは奇跡だななんて感じるし、そのいのちの尊さ、ありがたさ、大切さを、美しさを、はかなさなんかを、しみじみ感じたりする。
これからきみはどんどん成長して、たくさんのことを勉強して、たくさんの知恵もついてくるんだろう。そうするといろんなことが複雑に感じたりするかもしれない。
だけど、この今の生命の基本形に立ち返りながら、今という一瞬一瞬をたいせつに生きていける大人になっていってほしいな、なんて思っている。
点と点が繋がって長い線になるように、その一瞬一瞬がきみの人生のラインになるだろう。それは予定通りの目的地につながるときもあれば、予想外のところへ向かうときもある。
でもそれでいいと思う。だって、いまのように一瞬一瞬をたいせつに生きていれば、きみの人生のラインは(長い短いは関係なく)、素晴らしい絵を描きだしているかもしれないから。
と、まあ偉そうにパパはいうけれど、これが今日きみに教えてもらったことなんだけどね笑
きみが生まれてきてくれたことに、いまいちど感謝。
I love you,
みつぱぱ