いつもふたりぱぱブログを読んでいただきありがとうございます。
今日は、特別どなたからかいただいた質問、というわけではありませんが、いままでに複数の方から聞かれたことがあったので、みなさんの興味があるかなと思い、書いてみます。
『親がゲイの子どもだ』と、いじめられる心配はありませんか?
基本的にその答えは
「心配していません。」
です。
しかしもちろんそれに対して「なんで?」と聞かれたりもします。あまり論理的に考えたことはないのですが、なんでだろう、と、ふと思いをめぐらすと、ある記憶がよみがえります。それは僕がはじめてリカを実の兄に会わせた時のこと。
これはまだ僕らが東京に住んでいるころ、姉夫婦にカミングアウトしてその数ヶ月後、地元に帰る用事がありリカを連れて行きました。その間にどうやら姉は他の兄に伝えておいたようで「いっぺん会おうや。」ということになり、姉の旦那さんと実兄、僕とリカの合計4人で居酒屋に行ったんです。
僕とリカも緊張していたけど、実兄の方が緊張していたようだったのが印象的でした。でも気さくな義兄のおかげで世間話を経て少しずつ話が進んでいきました。
そのうち「聞いた時は、びっくりしたぞぉ」と言いながら、僕らの関係について話題は移っていきました。どれくらいつきあっているのか、とか、これからどうするつもりなのかなど。
そしてしばらくすると、少し言いにくそうにこんなことを言ってきたのです。
「実はさ、嫁がさ、あんまよく思っとらんのだわ。子どもたちには(僕がゲイだってことを)絶対教えたないって言っとってよ。」
ちなみにこの兄は小学校にあがる前(当時)のふたりの娘がいる。
「自分たちのおじさんがそういう人(ゲイ)だってわかったら、学校でいじめられるかもしれんだろ、それを心配しとって、そんな嫁の気持ちがオレもわからんでもないんだわ」
兄弟にカミングアウトする前は、どんな反応がくるか予想できていなかったので、「へ〜そうか」となんだかまるで、他人事のようなかんじでそれを聞いたのを覚えています。ショックでもないし、その義姉に対する気持ちもフラットなままでした。
そうしたら、リカがそれに対してこう答えたんです。
「そうかもしれませんね、子どもの世界でいじめってどこにでもあります。でもそれって、おじさんがゲイじゃなくても、起こるかもしれません。
子どものいじめって人と違うところを見つけて、そこを笑ったりするもの。でもいじめっていうのは、いじめられる側に理由があるんじゃなく、いじめる側に問題がある。
人をいじめていい理由なんてないし、それより、いじめられた子がいたら、その子をどうケアするかのほうが大切だと思います。」
それを聞いている最中、何かが僕の頭の中をクリックしていて、少し興奮気味に、でも頭の中を整理しながら割と冷静に、次のように話し始めました。
「もちろんこれは、兄貴の家の教育方針だから、それをどうこうしろとはオレには言えない。親としての責任があるのは兄貴たちだし。言いたくないなら言わなくったっていい。でもオレだったらこう思うんだよね。」
と前置きをしつつ、
「もし兄貴の子どもが学校に行くようになって、そのクラスの中にゲイの子がいたとして『おかまだー』っていじめられてたとする。その時に、兄貴の子どもはその子をいじめる側にまわってしまうかもしれない。
でももし兄貴の子どもたちが、オレとリカの関係を知っていたら、そのいじめ自体を止めるところまではいかなくても、そのいじめに参加はしないかもしれないよね。
もしかしたら、そのいじめられた子に寄り添って、『大丈夫だよ、実は私のおじさんも男同士で結婚してるけど、幸せそうよ』って言ってあげられる子になれるかもしれないよね。
人をいじめる側にまわるのか、それを助ける側にまわるのか。親としてどっちの子どもに育ってほしい?」
ただ、淡々と自分はこう思う、というのを語っただけだった気がします。兄も相槌をうちながら、きちんと目を見て聞いてくれていたし。それに対して兄は、
「そうか…そうだな…」
とだけ、言いました。
僕は、その翌年に親へのカミングアウトをし、結婚、渡英しました。
渡英後、リカと一緒に何度か実家へと帰省する機会がありました。その時はいつも姉が音頭をとり家族が集まる機会を設けてくれるのですが、そこにはその兄の家族の姿があります。もちろんその奥さんと娘ふたりの姿も。
兄がその後どのように奥さんに伝えたかは聞いていません、また特にあの時の話をすることもありません。しかし、何も言わなくても、その場に来てくれて、楽しくおしゃべりしたり、ご飯を食べたりしてくれるだけで、もうそれ以上の答えはいらないのです。
また、一番最近帰った時にもみんなで集まってごはんを食べたりしたのですが、小学生にあがったばかりのその兄の娘は、僕らが泊まっていた姉の家に「わたしもここで泊まる!」と言い出し、初めてのひとりお泊まりをしました。
英語をならっているというその子は、夜寝る前にリカに英語で本を読んでもらっていました。まだ自分から英語をしゃべるのは恥ずかしいようだけど、僕らが語りかける英語は意味がわかっているようでした。
それを見て、本当に嬉しくなりました。
彼女が僕らがどういう関係か理解するのにはまだまだ時間がかかるでしょう。
ただ子どもというのは、僕らの性的指向とか、リカが外国人で英語をしゃべるとかそういうことはどうでもよくって、自分のことを大切に見てくれる人を直感的に感じ取って、コミュニケーションしたい人を見つけて選んでいるんだなと思いました。
また、そのまっさらなキャンパスは、まわりの大人の対応・教育によって塗り替えられるものなのだな、とも。
質問の答えになっているかどうかはわかりませんが、冒頭の質問を聞かれるたびに、このエピソードを思い出すのです。
だから、このエピソードを話すことで答えにさせていただくときもあれば、めんどくさいので「心配していません」とかだけで終わる時もあります。
将来僕らの子どもが、「ふたりぱぱの子どもだから」という理由でいじめられたとしたら、それはもちろん悲しいことです。もちろん、その時になってみなければ、その大変さや心苦しさはわからないかもしれません。
しかし、まずは自分の子が、人をいじめる側の子にならなかったことを喜んで、ぎゅっと抱きしめてあげて、「それでも生まれてきてくれてありがとう」と伝えたいなと思っています。そして、その後をどうするかは、その子といっしょに考えて歩んでいければいいなと思っています。
それはストレートの親も、LGBTの親も本質的には同じように味わう、子育ての喜びだったり苦しみだったりするのではないでしょうか。
*画像出典:Homophobic Bullying Fix Poster 3 by The home of Fixers via Flickr, Licensed under CC BY-ND 2.0
上記画像訳
“Your parents are a dirty pair of heteros”
(おまえの親は薄汚いヘテロのペアだ)
Many children of gay parents are bullied because of their parents’ sexuality. How would you like it if the tables were turned?
(親の性的指向を理由にいじめられるゲイペアレンツ(ここではゲイ=同性愛者全般の意味)を持つ子どもがたくさんいます。もし仮に立場が逆転したとしたら、あなたはどう思うことになるでしょうか?)注¹
将来、こんなポスターが作成されることがないように、祈るばかりです。
注¹ 2016/11/30 訂正 – “How would you like it if the tables were turned?” を 『彼らの机がひっくり返されるのを見てあなたはどう思いますか?』と訳していましたが、誤訳のご指摘をいただきましたので、修正させていただきました。)