2019年8月16日(金)
息子くんへ
今日は午後から、実家近くに住むみつぱっぱのお友達の家へ。今日は家族3人でお泊まりさせてもらうことになっていた。
彼とは15年来の友人。またその当時仲が良かったもう一人の友達もわざわざ宮崎から駆けつけてくれた。
みんなでテキトーにご飯を作り、食べて飲み始める。
ご飯のあとはリカパッパがきみの歯磨きや絵本読みをやってくれて、みつぱっぱは思いっきりその友達との再会を楽しんだ。
いいかんじで酔っ払って、途中で氷を買いにコンビニに散歩がてら行って、昔話や、みんながそれぞれの人生を歩み始めてからの話なんかする。
15年前、わけもわからず、バカな話で盛り上がってた。
それと全く変わらない空気を感じながら夜は更けていく。
なんの息苦しさもない、気兼ねもないまま、Happyという感情しか感じない。
宮崎から来てくれた子は、当時みつぱっぱがカミングアウトをできた数少ない友人。もっと言えば、当時おつきあいをしていた元カノでもある。
まだまだ自分の存在自体に自信を持てなかったみつぱっぱ。
彼女はそんなみつぱっぱを勇気付け、ゲイなのかなんなのか迷っている状態そのままのみつぱっぱを受け入れてくれた大切な人だ。
いまのみつぱっぱがあるのは、数多くの知り合った全ての人のおかげだと思いながらも、彼女はその中でもまた特別な存在のひとだ。
話がちょっとそれるが、小学校にあがるときに習った、「ともだち100人できるかな?」という曲が、みつぱっぱにはちょっと足枷のようになっていたような気がする。
たくさんの友だちをつくりましょう、って奨励する「一年生になったら」という曲だ。もちろんたくさんの友だちができることはいいことだ。
でもなんでなんだろう。こどものときのみつぱっぱの性格のせいなのかな、友だちを100人つくらなきゃいけない、友だちはたくさんいなければならない!という強迫観念に駆られてしまうことも多々あった。
いい友達というはもちろん、学生のときもたくさんいたと思う。
でも、本当の友達づきあいというのを教えてくれたのは、彼らだったかもしれない。
100人いなくってもいい。
たったひとり、きみのことを理解してくれる、友だちができれば、それで十分なのかもしれない。
きみがこれから大きくなっていくにつれ、たくさんの人と出会うだろう。
本当の友だちを見つけるのに、苦労することもあるかもしれない。
本当の友だちというのが、いないと感じることもあるかもしれない。
でも、焦らず腐らず、自分自身が自分自身に素直になって、目の前のことを一生懸命やっていれば、知らない間に、本当の友達というものに出会えるものだから、なんにも心配はいらないよ。
みつぱっぱは、当時から彼らのことが大好きだった。
でも、15年という月日が経って、初めてというか、改めて気づくこともある。
この手紙を読んでいるきみが今何歳なのか分からないけれど、
たったひとりでもいい、本当の友だちを見つけてくれていたら、それに気づいていてくれたら、
みつぱっぱは嬉しい。
Jag älskar dig,
みつぱっぱ
