第16話 旅の準備はもう済んだ、いよいよ出発だ。

第16話 旅の準備はもう済んだ、いよいよ出発だ。


そして僕らは決断をした。サロガシーの旅にでることを。

ある朝、リカと僕はあらかじめ受け取っていた、エージェンシーとの契約書にサインをしていた。それは最後の相談会を終えてから4ヶ月後のことだった。あとは、このサインしたものをスキャンして、メールで送り、追って実際の契約書を郵送するだけだ。

今日はあの相談会のあとから、この日サインをするにいたるまでの期間のお話をしたいと思う。


相談会後、クールダウン期

サロガシーエージェンシーの相談会を終えてから3ヶ月が経とうとしていた。エージェンシーからは話を進めたかったら連絡をくれ、質問にはいつでも答えると言われていた。ただ、特に大きなアクションは起こさなかった。あまりふたりの間でもそれについて、口にしていなかったと思う。

その時期は、仕事や勉強や試験が重なり、ただ単に忙しかったこともあるけれど、少し考えや気持ちを落ち着かせたかったのかもしれない。それぐらい、あの二回の相談会は僕らの心を揺さぶるのに、十分すぎるぐらいのパワーがあった。

勢いでそのまま契約! ということもできるだろうが、僕らふたりは、いろんなことへの決断が遅い。いや、もとい、慎重だという言い方のほうがいいかもしれない。

その3ヶ月、口にこそしなかったが、ふとしたときに、「そろそろ決めなきゃな」と頭をよぎることがあった。その都度、気持ちの面では不安よりも期待のほうが積み重なっていっていたように思う。

 


子どもたちと過ごすリカを見て

そのころ、ちょうど日本に旅行に行くことになっていた。数年前に両親にカミングアウトしたものの、リカはまだ両親にあったことはなかった。姉と相談し、そろそろ大丈夫かもと、リカを実家に連れて行くことになった。

長男の家で集まることになり、リカはガチガチに緊張していたが、東京で友達にすすめられたという、どこか有名な和菓子屋さんの菓子折りをもって「お口にあいますかどうか…」と誰かに仕込まれたようなことばとともに、親への挨拶をすませた。

拍子抜けするくらいそれはあっさりと済んだ。(もちろん僕の知らないところでの、家族会議ではいろいろあったようだが。。。)みんなでご飯をたべ、お酒を飲み、ちょうど近所で行われていたお寺のお祭りにもでかけた。

リカが日本語しゃべれるので僕の家族も安心して、いろいろコミュニケーションできたようだ。それは本当に良かったことだったが、それよりも印象的だったのが、リカが子どもたちと遊んでいる姿だった。

 

僕にはひとりの姉と、ふたりの兄がいて、それぞれすでに家庭を持ち、5人の姪と2人の甥がいる。当時の年齢で上は20歳から下は4歳ぐらいまでだったと思う。

家族で集まるとなると常に子どもがいる状態が20年以上続いていることになるが、その見慣れた光景のなかに、リカがいる。

まだ幼い子どもたちとリカが普通に遊んでいる。

いないいないばあ的な遊びだったり、子どものほうからリカの背中に飛びついていってたりする。子どもから避けられるような大人じゃないんだって思った。

なんかそれまでリカが子どもと遊んでる姿って想像すらできなかったんだけど、それを目の前にして、「あ、いいな」って思った。そして、リカと僕がふたりで子どもを育てていくイメージもそこではじめてクリアに浮かび上がった気がした。

それまでもなかったわけじゃないけど、今回のはごく自然に、その姿が『ポンっ』って頭に入ってきたような感じだった。

 


でもそのときは言えなかった

日本滞在中、長男の奥さんとゆっくり話す機会があった。彼女は僕の本当の姉のようである。僕のことを子どものころから知っているということもあるのだろう。そして、とても気さくでいつも明るい人だ。

ちょうど一緒に車に乗っていて、兄がいないということもあってか、いろいろ僕のカミングアウトのときの話になった。

その義姉は、オープンマインディッドで、割と若い時からアメリカ人でゲイであることをオープンにしている人と接する機会があったという。僕がゲイだと聞いた時も、「あー、いわれてみればそうかもね」ぐらいに思っていたらしい。

その時彼女が教えてくれて初めて知ったのが、カミングアウトしたときの親の反応だった。

うちの親は、僕がゲイであることに対して、他の兄弟の配偶者に対して申し訳ないと思っていたらしい。自分の息子や娘に対しては元々の家族であるから、それを恥と思わないが、その配偶者に対しての気がねが大きかったそうだ。

それを聞いたその兄嫁は、

 

「そういう人って結構いるし、今までも会ったことあるし、ま、みっちゃん(僕の愛称)が一緒にいて幸せだと思える人と一緒ならいいんじゃないですか? 私全然気にしないんで、はっはー」

 

ぐらいなことを親に言ったらしい。ありがたいかぎりである。

それは本当に嬉しいことだった。そんなにオープンな彼女のことならと、軽く子どもの話を振ってみようかという気になった。ヨーロッパでは同性同士の結婚も珍しくなくなってること、子どもを持ってる人たちもいることなどを話した。すると、彼女はこう言った。

 

「でもみっちゃんたちは、その予定はないんでしょ?」

 

という返答。ふーむ。。。

 

『子ども持つ予定あるの?』と聞かれれば『あるよ』と答えやすかったかもしれない。

でも反射的にでてきた答えは「ないよ」だった。心の中では、「もう準備し始めちゃってますけど!」っていう気持ちとともに。

 

そのあと僕はハンドルを握りながら、少しぼーっと考えていた。

『やっと親がリカと会うことができた、カミングアウトから3年かかった。それですら早いほうなのかもしれない。ゲイが子どもを持つということを受け止めるのには、まだ時間がかかるかもしれない。』

スウェーデンの家族とは、違うのだ。焦る必要はない。少しずつ、少しずつ。

 


帰りの飛行機、空の上から

日本からロンドンへ向かう飛行機の中、僕らは自然と家族の話になっていった。僕らの家族のはなしだ。

 

「そろそろ、決めなきゃいけないね」

「そうだね、どうする?」

「でも、できるでしょ、僕ら?」

「うん、そうだね、できるよね」

「うん、いいんじゃない」

「じゃ、帰ったら、契約書にサインしなきゃね」

 

どっちがどっちのセリフだったかははっきり覚えていない。でもこんなふわっとした会話だったような気がする。

そんなふわっとした感じになったのもそれまでの約2年以上、すこーしずつすこーしずつ、話し合ったり、調べたりしてきたからだと思う。ふたりで決めるふたりの未来。この旅の準備に時間はかかったし、フラストレーションが溜まることもあった。

けれども、それに時間をかけたことは本当に大事なことだったと思う。

だからこそ、その旅に出るのかでないのかの決断は、このふわっとした感じになったのかもしれない。

『覚悟を決めた』みたいな瞬間ではなかった。でも自然な流れというか、あ、今だなっていう感覚はあった。

ストレートのカップルとは全く違うプロセスだろう。こんな大変なリサーチや準備をせずに子どもを作れるひとのほうが多いのだから。

でも今では、この大変な準備期間が、子どもを今後育てていく時になって役に立つであろう、貴重な時間になるだろうと思っている。ストレートの親では味わうことのなかったであろうこの時間。

 

サロガシーの旅、その旅の準備は知識と情報の荷造りから。

 

実際の旅にでれば、道に迷うこともあれば嵐に出くわすこともある。その旅の大変さは、このころなんにもわかっていなかった。飛行機の窓から見える青空をみて、楽しみな気持ちでロンドンへと向かっていっていたのだった。

 


 

つづきはこちら

 

第17話 代理母出産の流れ、6つのステージ

 


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