芝生で転げるこどもたちと、『あたりまえ』の無い世界。

芝生で転げるこどもたちと、『あたりまえ』の無い世界。

2017年7月16日(日)

息子くんへ。

 

 

水曜日から、サマーハウスへ来て、ハイキングに行ったり、他の親戚家族との時間を過ごしたりしている。

 

昨日の夜は、みんなでたくさん食事を作って、小さなコテージでご飯を食べた。

 

みつぱぱがこの家族にあったのは2011年の夏だった。それはちょうどリカパパと結婚したとき。

 

結婚式はわけあって、家族を呼べなかったけど、そのあと、リカパパの妹がサプライズでみんなを集めてくれて、結婚パーティを開いてくれた。

 

そのときほどたくさんではないけれど、今回はその中でも特に近い家族が集まっていた。

 

あのときは、夏だというのに暖炉に火をくべているのに驚いていたけれど、今となってはそれが蚊を寄せ付けないためだとかっていうのも知っている。

 

全く喋れなかったスウェーデン語も、聞いてほんの少し内容を予想したりして、簡単な返事はスウェーデン語でするようにもしてる。

 

結婚パーティのときは、みんながこどものときの思い出を話したりしていて、その会話には入れなかったみつぱぱだけれど、今日はこの過去6年の思い出話しに花が咲いたりして、みつぱぱもその会話に入れるようになった。

 

そんなかんじのこの6年の変化が、この家族にほんの少し入れてもらったような気をみつぱぱにさせてくれた。

 

そしてこの6年の間にあたらしく生まれたこどもたちがきみを入れて7人いる。きみのいとこやはとこたちだ。

 

 

 

今日、昼間に、芝生の上でみんなが裸足で駆け回ったり、坂になっているところをごろごろと転がったり、大騒ぎをしながらご飯を食べたりしてるのを見ていた。

 

その中に君がはいってる。一生懸命おっかけてる。

 

そのお陰か、いつもより君はたくさんご飯を食べるし、独り言のようなおしゃべりを延々とするようになった。真似してるつもりなのかな?

 

『ご飯たべる?』『うんちした?』『ミルク飲む?』『もうごちそうさま?』とかそういう質問にも、はっきりと首を縦にふるか横にふるかでしっかり応えられるようにもなっていた。

 

まだまだ『一緒に遊ぶ』というところまではいかないけど、上のお姉さんお兄さんに大目に見てもらいながら、ともに時間を過ごしてる。

 

その様子を見ていて、年の近い兄弟やいとこがいなかったみつぱぱは、きみのことうらやましいなって思ったし、ラッキーでありがたいことだなって思った。

 

そしてリカパパ自身、その兄弟やいとこといまだに交流があって、仲良く過ごし、大人になってこどものころの思い出話に花を咲かせている。そんなふうに、きみたちも30年後ぐらいにそういう会話をするようになるのかなって、ふと思った。

 

でも家族だからっていって、だれもかれもが仲良くできるわけじゃないだろうし、家族だからこそ、その距離が近すぎるがゆえ、喧嘩したり仲が悪くなるってことはどこの家庭にもあり得ること。

 

それは努力してなんとかなるときとならないときがあるのも事実。

 

でも、できるだけみんな仲良く、住む場所はバラバラでも、こうやって集まった時には楽しく過ごせる家族でいられたらなって、考えてた。

 

とにかく、こどもたちが、遊ぶ姿を眺めてると、月並みだけど幸せな気分になる。

 

でもそれも、あたりまえなんかじゃないってことも、いつも思い出す。

 

みつぱぱが自分の兄弟の姪っ子や甥っ子を眺めていたときも、幸せな気分になっていたけど、あのころは、自分にこどもができるとは思っていなかったから、どこか『さみしさ』みたいなのもあった。

 

無理なものを求めてもしょうがないって、わかってたから、その『さみしさ』にきづかないフリを自分自身にしていたけれど。

 

だからなのかな、今こうして、新たにできた家族と、そのこどもたちの輪の中に、きみという存在がいるということが不思議でならない。今でも嘘のようだ。

 

だから、これは、あたりまえなんかじゃないってことを、思い出す。

 

あたりまえのように感じることほど、実はあたりまえじゃない。みんな忘れてしまいがちなことだけれど。

 

 

きみは元気に走り回ってくれるだけで、いつもパパたちに大事なことを教えてくれる。

 

 

ありがとう。

 

 

I love you,

みつぱぱ

 

 

 

 

  

 

 

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