みなさんは、レインボーベイビーと聞いて、どんな赤ちゃんを想像しますか? 僕はそれを初めて聞いた時、浅はかながらLGBTの親を持つ赤ちゃんのことだと思っていました。
こんにちはみっつんです。いつも『ふたりぱぱ日記』を読んでいただき、ありがとうございます。
今日、自分のFacebookのタイムラインに友達の投稿として、こんなのが流れてきました。いろいろ考えたのですが、この場を借りてシェアさせてもらえたらと思います。
“レインボーベイビー – 流産や死産などで亡くなった赤ちゃんのことをいいます。お腹の中で育てたけれど一度も会うことはなかった赤ちゃん、一度はこの腕で抱いたけれど家へ連れて行けなかった赤ちゃん、もしくは家にまで来たけれどながく一緒にいられなかった赤ちゃん、今日、わたしたちは、そんな全ての眠っている赤ちゃんを思い出すのです。もしあなたが、このような赤ちゃんを持ちそれで心に傷を持つ人を知っていたら、あなたも一緒に思い出してください。多くの人はしないでしょう、なぜなら、流産や死産、そしてSIDS(乳幼児突然死症候群)は、癌などの病気と違いいまだにタブーの話題であるからです。沈黙を破りましょう。この地球には完璧すぎた天使たちを偲んで。コピー&ペーストしてね”
(翻訳:みっつん)
最初はちょっとチェーンメールのようで、どうかな? と思ったんですが、読み終わった時、僕の知っている人のなかで、レインボーベイビーの親さんは、ひとりやふたりじゃないなって気がついたんです。
もう赤ちゃんではなかったけど、子どもに先立たれた知り合いもいます。
きっと世の中にはそういう親さんが見えないだけで、口には出さないけれど、たくさんいるんだろうなと、思いをめぐらせました。
そう、この文にあるように、口に出していいのかとてもセンシティブな話題、タブーなのかもしれない。
この話題がタブーになるのは、その子を思い出すことで悲しみまで思い出させる必要があるのだろうか、という優しさも含まれるのだろうと思います。
しかし、そういった親さんたちが、悲しみを自分たちだけで抱え込んだ場合、限界がくる方も多いのではないか、と、想像します。
僕は、僕の友だちの中にいる、レインボーベイビーを持つ親さんたちに、直接その話題をしたり、寄り添ったりすることはできないかもしれない。
慰めるなんて野暮なことしたって、その子を空へ送り出したときの辛さは僕にはわかってあげられないだろう。
でも、このレインボーベイビーということばを知り、覚えておくことで、いのちの大切さとその素晴らしさ、尊さをあらためて感じて、過ごしていけたらと思っています。
すべてのレインボーベイビーを偲んで。
みっつん