第5話 ふたりのママの家族と出会って。

第5話 ふたりのママの家族と出会って。


このブログを読んでいただいてる方の中でも、実際に同性カップルが子どもを持ち、育てている姿を思い浮かべるのはまだまだ無理と思っている方は多いと思う。批判的な気持ちというよりも、ただ想像できないという人も多いだろう。

僕もそうだった。僕の親だってストレートカップルだったし、同性カップルに育てられた子どもなんて見たことも聞いたこともなかった。しかし、たったひとつのきっかけが、そのイメージを変えてしまうことだってある。今日はそんなエピソードをご紹介したい。


夏のロンドンで出会った、ふたりのママと男の子。

いろいろ子どもを持つことについてネットで調べ始めたばかりのころ、ヨガのコースを一緒にとっている友達が家でバーベキューをするからと誘ってくれた。彼女の家に着くと、僕らはキッチンで野菜や果物を切ったり、グラスや食器を裏に続く庭に運んだりしていた。

彼女の家の庭の芝生が、青々と茂る爽やかなロンドンの夏。まだまだ陽が高いところにあった昼下がり、少しずつ人が集まってきた。最終的には15人くらいの人が集まっていたと思う。

そこにやってきたひとりの男の子、元気な声を出している。そして彼の両脇で手をつないで一緒にやってきたのはふたりの女性。とても理知的な印象のふたりだった。

僕の友だちがそのうちのひとりを紹介してくれた。どうやら会社の同僚らしい。握手をしてこちらも自己紹介をする。そして「うちの息子、4歳になったばかり」とその男の子を紹介してくれた。それに続きもうひとりの女性とも同じように、名前を交換し握手した。

僕らがお酒やジュースを飲みながら肉や野菜を焼き始めている間、その3人は仲良く芝生の上を駆け回って、追いかけっこをしたりちっちゃなサッカーボールを蹴りあったりして遊んでいた。そしてそれを眺めていると、なんとなく妙な違和感を覚えはじめた。

「ママー!!」

と叫ぶその男の子の声はその二人の女性の両方に向けられていた。

それを聞いて初めて気づいた。彼らはレズビアンカップルで、男の子はふたりの子どもだったのだ。最初彼らを紹介されたとき、《母親はひとり》という自分の先入観が、それに気づくのを遅らせたのだと思う。片方の女性は同僚の方か誰かで、仲がいいからその男の子がなついているんだと思っていた。

そう、これが僕が初めて出会ったふたりのママがいる親子の姿だった。

 


自然体でいる、特別じゃない、彼らはここにいる。

なんとも説明しがたい気持ちになった。嬉しいような恥ずかしいような、なんだかドキドキしていたし、そのドキドキを相手に悟られてはならないとも瞬間的に思っていた。ちょっとした興奮と、それを抑制しようという気持ちが同居していた。

そして片方のママが子どもと遊んでいる間、もう片方のママは僕とリカとおしゃべりをしていた。彼女は、「男の子で元気が良すぎて大変」とか、「今は私が主に仕事をしていて、彼女が子どものことを主にやっている」とか、「でも、私も彼が小さい時は育児休暇をとった」とかそういうことを話してくれた。特に同性カップルだから大変だ、みたいな話は、なかった。

そんな中、湧いてくる疑問が当然あった。どうやって子どもを授かったのだろう。

誰かから精子提供を受けて、ふたりのママのどちらかが自ら妊娠・出産したのだろうか。はたまた、養子をとったのかもしれないし、以前は男性と付き合っていてその時にできた連れ子なのかもしれない。

しかし、それらの疑問は頭に渦巻くだけで実際に口に出すことはなかった。聞きたい気持ちは正直強かったけれど、どうやって聞いていいかもわからなかったし、初対面でそんなこと聞いたら失礼にあたるような気持ちに、自然となった。

そういう気持ちにさせたのは、彼らがとても自然体だったからだと思う。「私たちLGBTの家族ですよー!」という強い主張をするわけではなく、ただそこにいる、存在する、生活をしている、それだけだったのだ。

なにより、目の前で楽しそうに、仲睦まじくしているこの3人を見ていると、それだけで何が一番重要かというのを物語っていて、それ以上のことはどうでもいいことに思えてきた。

ひとりのママが、「あなたたちは子ども持つ予定あるの?」と聞いてきた。僕らは「実はまだ最近考え始めたばっかりで・・・」と言うと、「そう、いいわね。でも、子育ては思ってるより大変よ。」と冗談めかしてその場を和やかにした。

 


日本にだってLGBT家族はもういます。

ゲイとして子どもを持つかもしれないと考え始めたあの頃、まだそのイメージがまだ持てなかったのも事実だった。しかし、芝生の上で戯れるあの親子の姿は、その後幾度となくフラッシュバックのように脳裏によぎり、自分もやっぱり子どもを持ちたいという気持ちに自信を持たせてくれたと思う。

日常生活の中で、彼らのような存在に出逢うチャンスを持てたのはラッキーだったと言えるし、もし自分が実際に子どもを持てた時には、自然体でそこに存在する、そんな家族にになりたいとも思っている。

ロンドン市内で小学校の教師をしている友だちから聞いた話だが、一学年にひとりかふたりの子どもの親がLGBTだと言っていた。クラスにLGBTの親を持つクラスメイトがいれば、子どもの時から『そういう家族もあるんだ』と知ることができ、新しい普通になっていくだろう。

これからはLGBT当事者だけでなくLGBTで子どもを持つ人の存在も少しずつ可視化されていくのだろう。実際に存在し、目の前にいるという事実ほど、強いメッセージはない。

もしあなたも子どもを持ちたいという気持ちが少しでもあれば、無理だろうと頭から決め付けずにちょっとだけ視野を広げてみてはどうだろうか。日本でも実際に子どもを育てているLGBTの人もいて、交流をはかるためのグループをつくっている方もいる。『百聞は一見にしかず』という言葉が見事に当てはまる、そんな経験に出逢えるかもしれない。

 

 

画像出典: South London Lesbian Mums by Emma Cragg, via Flickr, Licensed under CC BY-NC-ND 2.0/ Clipped from original

 


つづきはこちら

第6話 ロンドンが考える家族のカタチ – モダンファミリー。

 


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